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2018年3月

2018年3月 4日 (日)

第59番目 西寒多神社

西寒多(ササムタ)神社は、延喜式の明神大社で豊後国の一の宮とされています。祭神のササムタ神は、元は大分川の支流である西寒田川の上流に立つ本宮山(607m)に降りる神のことであり、それを祭祀していたのがムタ(後の巫堂)と呼ばれる渡来系の巫覡だったのではないでしょうか。祭祀していた一族は大分国造(オオキタノクニノミヤツコ)と考えられ、ヤマト政権の命を受けて北九州東岸に入植した渡来人豪族のひとつかと思われます。Photo

Photo_4 北九州の瀬戸内側はトヨ(豊)の国と呼ばれ、福岡県の行橋から大分県の臼杵まで、古く3世紀末から5世紀前半までに畿内式古墳が築造されており、ヤマト政権の朝鮮半島への海上航路の掌握のためや熊襲との戦いに対する橋頭堡として海部や佐伯部系の氏族が入植した形跡がみられます。福岡県苅田町の4世紀初の前方後円墳の石塚山古墳、宇佐市の3世紀末の赤塚古墳、大分市佐賀関町の4世紀の猫塚古墳などが初期の畿内式古墳です。また、日本書紀の景行天皇紀には、豊前の宇佐、長狭(京都郡)から豊後の大分、速見、直入、大野と巡幸したと記述があります。(右は海部の首長の墓とされる亀塚古墳)

Photo_3 しかし、それら目的が一応達成された後は、半島の政情不安のたびに、技術をもった渡来者の入植が増えていったようです。大分国造も渡来氏族であったのかも知れませんが、その先進的な技術に基づいた開墾の業績が称えられ、その後裔という大分(オオキタ)氏は火君や阿蘇君と同祖であるといい、ササムタ神も明神大社として尊敬を受けるようになったのでしょう。九州の地域特性をもつ装飾古墳にも、渡来人や海人の影響がみられます。(左の写真は本宮山)

梓弓(アズサユミ) 引き豊(トヨ)の国の 鏡山(カガミヤマ) 見ず久ならば 恋しけむかも (巻3/0311)

西寒多神社: 大分市寒田 

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