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2018年2月17日 (土)

第57番目 鹿児島神宮

鹿児島神宮は、延喜式では鹿児島神社といい、南九州の日向、薩摩、大隈の3ケ国11座の中で唯一の大社です。現在の祭神は、天孫降臨神話の主役であるニニギ命の御子とされる天津日高彦穂穂出見(アマツヒタカヒコホホデミ)命を含めて複数鎮座しています。延喜式では1座ですので、さまざまな由来があったのでしょう。また、八幡宮とも呼ばれていましたが、八幡神は渡来系ですのでもとからの地域の神ではないと思います。

Photo

Photo_2 鎮座する場所は、鹿児島湾の一番奥の地域で、付近には大隈国府がありました。カゴシマというのは、カグる島であって、つまり燃える島である桜島を指すのでしょう。贈於(ソオ)郡ができる前からこの地域には隼人最大の豪族であるソ(曾)の君が盤居しており、元の神はその一族が奉る神であったはずです。海洋民族として南北の外来文化に触れてかなり高い技術も有していたと考えられ、そのために中央政権からの干渉が絶えなかったと思われます。ソとは熊襲(クマソ)のソであり、神衣(カムミソ)と関係するとも考えられるでしょう。それゆえ宮中行事にも残るという隼人舞とは、伎楽に似た面を付け豪華な衣装で勇壮に舞うものだったのでしょうか。

隼人の伝承とされる有名な海幸山幸神話では、弟である山幸彦のホヲリが、兄の海幸彦のホデリの釣り針を失くし責められたけれども、塩ミツ玉と塩ヒル玉の呪力で兄に勝利したといいます。兄のホデリは「汝命の昼夜の守護人となりて仕え奉らむ」と降伏し、阿多隼人や大隈隼人の祖になったと記されています。兄弟ともに火(ホ)から生まれた隼人の奉る神であり、後に、弟のホヲリ命が本来は穀物神であるホホデミ命と同一視されたのかも知れません。

隼人(ハヤヒト)の 薩摩の瀬戸を 雲居(イ)なす 遠くも我は 今日(ケフ)見つるかも (巻3-248)

Photo_3 隼人は、もとは熊襲(クマソ)とも呼ばれた勇猛果敢な独立心の強い人たちであったため、ヤマト政権から異族扱いされ、たびたび叛乱を起こしたとみられ、鎮圧されるたびに他地域からの移住民が増やされて、八幡神などの別系統の神が奉られるようになったと考えられます。逆に、その勇猛さを買われて、中央へも移住されられて、ヤマトの宮城を守護する役目を司り、服従儀礼でもあった隼人舞が宮中行事として残ることになりました。

(左は桜島)

鹿児島神宮; 鹿児島県霧島市隼人町宮内

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