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2018年2月10日 (土)

第56番目 阿蘇神社

阿蘇(アソ)神社は、延喜式には阿蘇郡大一座小二座の健磐龍命神社、阿蘇ヒメ神社、国造神社と記載されています。もとは火の山である阿蘇山を奉拝した自然信仰から始まると考えられ、アソという地名も、アサ、アカなどと同じように燃える火からの連想であり、アサマが霊峰を示すのに繋がるのでしょう。祭神である健磐龍(タケイワタツ)命は、そそり立つ岩座(イワクラ)を意味するのかも知れません。Photo_5

Photo_6 古く隋書倭国伝には、「阿蘇山あり。その石、故なくして火起こり...」と記述されており、本来は火山神であったのが、後には農耕のための水源神へと変化して龍という字をあてたのでしょう。健磐龍命は一の本殿(左)に、阿蘇ヒメ命は二の本殿(右)に鎮座し、健磐龍命のほうが明神大社で阿蘇国一ノ宮となっています。すこし離れた場所にある国造神社の祭神は速瓶玉(ハヤミカタマ)命に御子であり、阿蘇国造家の祖であるとされていますが、本来は、健磐龍命を奉る巫女が阿蘇ヒメ命となり、祭祀に使う瓶(ミカ)も神格化したものと考えられます。

芦北(アシキタ)の 野坂の浦ゆ 船出して 水島に行(イ)かむ 波立つなゆめ (巻3-246)

Photo_10 この地域は弥生時代の後期ころから入植が始まって、当神社の祭祀者である阿蘇君(アソノキミ)は、地域の首長から国造(クニノミヤツコ)へと昇格し、国造神社という名前が残っています。阿蘇君氏は、神武天皇の子である神八井耳(カムヤイミミ)を祖とし、肥後の火君、豊後の大分君、筑前の筑紫三家などの豪族と同族であるといい、ヤマトの意富(オホ)氏とも関係をもっており、司祭系氏族であったようです。本来ミミ(耳)がつく尊称は、神の声を聞く巫覡(カンナギ)を示すらしく、聖という字にも耳が付いているのは太古からの伝承なのでしょう。古代の男子の髪形のミズラ(左の写真)も、元は耳を強調した結果なのかも知れません。

Photo_9 なお、沖縄の琉球王国では政治と宗教の一体化が長く続いたようで、男の首長を呪術的に支援する女性の巫覡が聞得大君(キコエノオキミ)と呼ばれていました。神の神託を告げて政治を補佐する重要な役目を負い、各村落にいる祝女(ノロ、右の写真)の頂点に立つ司祭者でした。私的な霊の口寄せをする巫女はユタと呼ばれ、東北地方のイタコを考えると、列島のそれぞれ北と南の端で同じような呪術的な習俗が残っているのは古代の祭祀方法の一端の名残りなのでしょうか。

阿蘇神社; 熊本県阿蘇郡一の宮町宮地

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