« 筑紫の大宰府 | トップページ | 第55番目 高良大社 »

2018年2月 3日 (土)

第54番目 与止日女神社

与止日女(ヨドヒメ)神社は、延喜式では小社ですが、遣唐使の廃止の後に航海の神を奉る松浦郡の田嶋神社に代わって、備前国府に近い当社が備前国一ノ宮となったようです。祭神は与止日女神(淀姫、世田姫)ですが、ヨドとは人々が寄り集まる意味の寄処であり、たぶん市(イチ)が立つ神聖な庭で、神降ろしをする女性の巫覡をヨドヒメと呼称していたのではないでしょうか。

Photo_4

佐賀平野の北端の背振(セブリ)山地沿いに、古代には官道(肥の道)が通っており、嘉瀬川(佐嘉川、川上川)と交差する付近に神社は鎮座しています。人々が集まり、水が集まって寄るため「淀む」という言葉が生まれます。ゆえに当神社は河上神社とも呼ばれており、水の神でもあったと考えられます。肥前国府は神社の南の川下にあり、多くの参拝客を集めたと思われます。また、官道を東へ行くと有名な吉野ヶ里遺跡があります。

初花の 散るべきものを 人言の 繁きによりて よどむころかも (巻4-630)

Photo_7








九州一帯には、数多くの土着のツチグモ(まつろわぬ人々)が棲んでいたとの記録があって、女性の巫女的な首長も多く存在していました。肥前国風土記によると、佐嘉川の川上に荒ぶる神がおり人々を苦しめていたが、ツチグモであった大山田女(オホヤマダメ)、狭山田女(サヤマダメ)という賢女(サカシメ)つまり巫女的な首長の進言により、佐嘉県主(サカノアガタヌシ)の祖である大荒田が荒ぶる神を奉ったところ災難が収まり、サカシメから佐賀という地名ができたと記しています。

Photo_8 吉野ヶ里遺跡

サカ(サガ)の「サ」は神聖の意味で「カ」は処、というわけで坂や境は神奉りをする場所であり、阪という漢字のコザト偏は神が降りる梯子の形象といわれます。佐賀や大阪だけでなく日本国中いろいろな地名でサカという語が残っており、境港(鳥取県)、酒匂(神奈川県)、寒河江(山形県)などもそうでしょう。

与止日女神社; 佐賀市大和町川上

« 筑紫の大宰府 | トップページ | 第55番目 高良大社 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 第54番目 与止日女神社:

« 筑紫の大宰府 | トップページ | 第55番目 高良大社 »