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2018年1月24日 (水)

第52番目 志賀海神社

志賀海(シカウミ)神社は、延喜式の明神大社で、祭神は古事記にも記載されている底津綿津見(ソコツワタツミ)、中津綿津見(ナカツワタツミ)、表津綿津見(ウワツワタツミ)の海神です。志賀海は、シカノウミ、シカノワタ、シカノアマとも呼ばれ、シカノワタツミと読むことができます。ワタツミとは海神としての漁民の神だっただけでなく、航海の安全を祈る渡(ワタ)しの神でもあったのです。Photo_3

ちはやぶる 鐘(カネ)の岬を過ぎぬとも 我は忘れじ 志賀の皇神(スメカミ)   (万葉集 巻7-1230)

当神社は、海人氏族として有力であった阿曇(アズミ、安曇)氏が祭祀する神社で、神社の鎮座する志賀島は現在は陸続きですが、元は島であって聖地であったと考えられます。シカというのは其(シ)処(カ)の意味であって、地域の誰もが認める聖地であったに違いないのです。それゆえ、あの有名な国宝の「漢倭奴国王」の金印が、辟邪のために埋められていたのでしょう。

阿曇氏の本拠地は、志賀島の対岸の糟屋郡の阿曇郷と呼ばれた地域であり、奴(ナ)の国があった場所と重なります。配下の海人のなかには、胸形(宗像)氏と同じように阿曇目と呼ばれた文身(イレズミ)を入れていた記録もあり、魏志倭人伝の「(水人)文身し亦以って大魚水禽を厭(ハラ)う」という記述が思い出されます。弥生時代にさかのぼる古い習俗を捨てない集団がいたのでしょうか。万葉集にも、志賀の白水郎(アマ)の歌がたくさん残されており、漁(スナド)りというのは「沈没して之(魚)を取る」という今のアマ(海女)の技術を言うのでしょう。

志賀(シカ)の海人(アマ)の 火気(ホキ)焼き立てて 焼く塩の辛(カラ)き恋をも 我(アレ)はするかも (巻11-2742)

Photo_4 本殿の横の今宮社の祭神は、穂高見(ホタカミ)命と阿曇磯良(アズミノイソラ)命です。穂高見命は信濃の安曇(アズミ)郡の明神大社である穂高神社にも奉られています。阿曇磯良(イソラ)とは、顔が牡蠣のように奇怪で、神宮皇后の航海の舵取りをしたという伝承がありますが、元は志賀島の磯で神祀りをする阿曇一族のオサ(長)であった司祭者の名称だったのかも知れません。その装束が、右の神功皇后絵巻に載る顔を隠し鼓をもち亀に乗った阿曇磯良の像が示すように、鼓を叩きながら神の降臨をうながすものだったのでしょう。

志賀海神社  福岡市東区志賀島

 

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