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2016年8月

2016年8月10日 (水)

第34番目 弥彦神社

弥彦(ヤヒコ)神社は、延喜式では伊夜比古(イヤヒコ)神社といい、明神大社で越後の一の宮です。現在の祭神は、天香語山(アマノカグヤマ)命ですが、元はイヤヒコ神とおもわれます。たぶん、イヤヒコとは寿言(ヨゴト)を告(ノ)りて祭祀をする男性の巫祝の名称であり、その呼び降ろす神をイヤヒコ神というのでしょう。弥(彌)はいよいよと読み、吉事(ヨゴト)が長く続く様であって、それゆえにヨ(良、善、宣、好)しとなり、「ヨイヨイ」と掛け声になるのでしょう。

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Photo_3なお、石川県の能登島には伊夜姫(イヤヒメ)神社があります。イヤヒメとは神奉りする女性の巫祝であったのでしょう。信濃川流域に広がる越後(蒲原)平野の西端にある弥彦山(638m)をカムナビ山とし(右の写真)、日本海の沿岸沿いに点在する潟津のひとつである、信濃川河口の蒲原津から発展した地域の神であったとおもわれます。



伊夜比古 おのれ神さび 青雲の たなびく日すら 小雨そほ降る  (巻16-3883)

近くにある菖蒲塚古墳(全長54m)は県内の代表的な5世紀の前方後円墳で、さらに前方後方墳である山谷古墳は4世紀にさかのぼるといわれています。7世紀にヌタリ柵や磐舟柵ができるより、ずっと早くからヤマト政権に関係する氏族が入植したらしく、後には高志深江国造(コシノフカエノミヤツコ)として支配したと考えられます。668年に、越国から燃える水と土が献上されたと記録にありますが、たぶんこの地域で産出したものでしょう。越国は、そのすぐあとに越前、越中、越後に別れます。

弥彦神社  新潟県西蒲原郡弥彦町弥彦

2016年8月 6日 (土)

郎子(イラツコ)と郎女(イラツメ)

郎子(イラツコ)と郎女(イラツメ)は、古代における若い男女の呼び方といわれています。イラとは「色」に関係があると考えられます。色という漢字は、人の後ろに別の人が重なる形(下の写真)で、性交の後背位の姿勢なのでしょう。この姿勢は動物では一般的であって、人間でも男性器が深く入るので妊娠させやすいといわれます。つまり、イラツコとは一族の中でも体が頑強で精力が強く、良質な子孫を残せる男性をいうのだと思います。イラツメは、同じように妊娠しやすい健康な体をもち、出産後も授乳に苦労しない女性をいうのでしょう。結果として、男女ともに親族が多くなり、一族を代表する長となり得たのです。

赤らひく 色ぐはし子を しば見れば 人妻ゆゑに 我れ恋ひぬべし (巻10-1999)

Photo色とは、それゆえ後には顔色のことを指すようになり、色気とか容色という言葉が生まれます。古代において、子孫を残すことは一族の最優先の義務であり、中世に至っても家系を継続させることが家長にとっての最大の責務だったのです。徳川家康が大奥を創生したからこそ、以降150年に渡って政権を維持できたのでしょう。



色に出(イ)でて 恋ひば人みて 知りぬべし 心のうちの 隠(コモ)り妻はも (巻11-2566)

そのほか、古くはイリヒコとかイリヒメという表現が記紀に残っており、こちらは健康体をもつだけでなく巫覡の役目が大きい男女の長をいうのでしょう。古くは第10代崇神天皇は、ミマキイリヒコイニエという和名の諡号をもっています。その皇女のひとりは、トヨスキイリヒメと呼ばれていました。また、同じ母をもつ兄弟をイロセ(色兄)と呼び、イロハ(色母)という表現もありました。

うつそみの 人にある我れや 明日よりは 二上(フタカミ)山を 弟背(イロセ)と 我が見む (巻2-0165)

Photo_2天狗の面は、まさにイラツコの顔色を象徴しているようにみえます。それゆえ、神社の神楽によく使用されており、性行為を象徴するようなしぐさもみられるほどです(左の写真)。各地の神社では子孫繁栄を目的として、男女の性器を形どった祭具が奉納されているのをみるのは色事の習俗が普遍的な意味をもつからなのでしょう。さらに万葉集で山や草木の色づきを詠う歌が多いのも、そのような色や恋の情感がこめられているからではないでしょうか。


暁(アカトキ)の 朝霧隠(ゴモ)り かへらばに 何しか恋の 色に出でにける (巻12-3035)

また、醜男(シコオ)や醜女(シコメ)も、もとは頑強で勇武な人物をいうらしく、神名に葦原色許男(アシハラノシコオ)や皇女に色夫古娘(シコフノイラツメ)という名が残っています。大阪の枚方には、物部系の伊香色男(イカガシコオ)と伊香色女(イカガシコメ)という豪族が盤居していたとも伝えられています。戦いの中で傷ついた結果、醜という意味に変わっていったと思われます。女性は巫女として自軍を鼓舞するため先頭に立ち、顔に矢傷を負うこともあったでしょう。卑弥呼が顔を見せなくなったといわれるのも、そのような事情があったのかも知れません。



2016年8月 3日 (水)

第33番目 出羽三山神社

出羽三山(デワサンザン)神社は、出羽神社と月山神社と湯殿山神社の三神合祀の神社です。月山(ガッサン)神社は、延喜式の明神大社で、庄内平野からの眺めは鳥海山よりも良いせいか、古来は鳥海山物忌神よりも神位が高く、出羽国府周辺の人々から広く尊敬されていたようです。月山(1980m)山頂に本宮があり、神名帳では月山(ツキヤマ)神となっていますが、現在の祭神は月読神です。

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湯殿山(ユドノサン)神社は、式内社でないため古い記録はありませんが、鶴岡市に式内社のユズサの女神を奉る由豆佐売(ユヅサメ)神社があり、湯蔵権現とも呼ばれることから、湯殿山から熱湯水が沢を伝って流れ出る様に由来する湯出沢(ユヅサ)で巫女が奉る神に関係する可能性があります。「ゆどの」とは、もとは斎殿(ユドノ)のことをいうのでしょう。

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湯は斎水(ユミズ)と同じ語源であって、斎庭(ユニハ)の聖化やクガタチなど祭祀に使われていたようです。また、ここでは熱水源が祭祀場所となっており社殿が設けられておらず、月山と羽黒山の奥宮といわれ、一番最後に合祀されたと考えられます。現在の祭神は、オオヤマツミ命です。

湯の原に 鳴く葦鶴(アシタヅ)は 我がごとく 妹に恋(コ)ふれや 時わかず鳴く (巻6-961) 

Photo_7出羽(イデハ)神社は、延喜式では小社ですが、最初に設けられた出羽柵(藤島町付近)の近くの端山である羽黒山(419m)の国魂神であったらしく、祭神はイデハ神と呼ばれています。イデハとは越の国からの出で端の地域という意味なのでしょう。ちなみに国の一番南にある出羽郡(イデハノコオリ)は、越の国に接しています。


その後、山岳信仰や神仏習合の影響を受けて、蜂子皇子(能除太子)を開祖とする羽黒修験道の本山となって三社合祀が行われて現在に至っています。そのため、中世に立てられた五重塔(国宝)が境内にあります。なお、合祀本殿には、中央に月読神、右にイデハ神、左にオオヤマツミ神が奉られています。

出羽三山神社  山形県東田川郡羽黒町字手向

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