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2016年7月 6日 (水)

第28番目 塩竈神社

塩竈(シオガマ)神社は、延喜式の神名帳には載っていませんが、単に祭神が不明だったためという説が有力で、陸奥(ムツ)の国府である多賀城の近くにある総社として尊敬を集めてきました。現在の祭神は、タケミカヅチ神、フツヌシ神、塩土老翁(シオツチノオヂ)神で、陸奥国一の宮といわれています。

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もとは、多賀城で行われる祭祀に使う塩を製造していた聖なる場所に建てられたシオカマドの社(ヤシロ)から始まったのでしょう。また火を使うカマドそのものが聖所であったらしく、奈良にはクド神が祀られている神社があります。神社の場所は、松島湾の奥にある塩釜の浦という天然の良港のそばの一森山の上にあり、港からは多くの物資が国府の多賀城へと運ばれたのでしょう。末社のひとつである鼻節神社では、「国府厨印」と刻まれた銅製印がみつかっています。

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大君(オホキミ)の 塩焼く海人(アマ)の 藤衣 なれはすれども いやめづらしも (巻12-2971) 

Photo_5なお、延喜式に宮城郡の明神大社と記載されている志波彦(シハヒコ)神社(左の写真)は、元は仙台市岩切の花立山上に鎮座したものを、今は塩竈神社の摂社として境内に安置されています。しかし、志波彦神の本来の鎮座場所はもっと北の岩手県の斯波(紫波)郡の志波柵(城)の付近だったと考えられます。志波城が水害により流されてしまったときに、志波姫神とともに国府の近くに祭祀場所を変えて奉られたのでしょう。

志波城の替わりに、813年に同じ紫波郡内に徳丹(トクタン)城が造営され、坂上田村麻呂らによる陸奥の平定がほぼ終了します。なお、徳丹城の造営と同時に建てられたとみられる志賀理和気(シガリワケ)神社が、最北端にある式内社といわれています。

天皇(スメロキ)の 御代(ミヨ)栄えむと 東(アヅマ)なる 陸奥山に 金(クガネ)花咲く (万葉集 巻18-4097)

塩竈神社  塩釜市一森山

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